2008年02月27日
米騒動
米騒動(こめそうどう)とは、近世から近代にかけての日本における米価格急騰にともなう暴動事件。
米騒動の発生契機としては凶作による米不足や米価格の暴騰が直接的な要因になる事が多い。一般に「米騒動」とのみ呼称した場合は、大正時代の1918年に発生したものを指す。しかし、単純な「米価格の暴騰に伴う民衆暴動」という定義の騒動は江戸時代の享保の大飢饉の頃から幾度となく発生しており、明治維新以降で全国規模にまで発展した米騒動は1890年、1897年、1918年の3度を数える。
1890年の米騒動
1890年1月18日、富山県富山市において市民による市役所・資産家に対する救助要請運動が始まったのをきっかけとして、同年4月から9月にかけて鳥取県、新潟県、福島県、山口県、京都府、石川県、福井県、滋賀県、愛媛県、宮城県、奈良県など19箇所において騒動が発生した。特に新潟県佐渡市相川町では6月28日から7月5日にかけて鉱夫を中心として2000名以上が蜂起し、軍隊の出動をもって鎮圧する事態にまで発展している。[要出典]
1897年の米騒動
1897年5月下旬の富山県魚津町での騒動をきっかけとして始まった騒動で、同年8月から10月にかけて、石川県、長野県、山形県、新潟県、福井県など10箇所において発生した。最も大騒動となったのは長野県飯田町の騒動で、9月1日から9月3日の3日間で約2000名の民衆が暴徒と化し、米問屋や警察署などを襲撃する事態に至った。[要出典]
1918年の米騒動
1918年7月下旬から9月にかけて、富山県魚津町を中心にして参加者100万人を超える全国規模の民衆暴動へ発展した事件。本項次節以降で詳述する。
第一次世界大戦の直後に暴落した米価は、周りの物価が少しずつ上昇していく中で、約3年半の間ほぼ変わらない値段で推移していたが、1918年の中ごろから急激に上昇しはじめた。大阪堂島の米市場の記録によれば、1918年の1月に1石15円だった米価は、6月には20円を超え、翌月7月17日には30円を超えるという異常事態になっていた(当時の一般社会人の月収が18円-25円)。7月末から8月初めにかけては各地の取引所で立会い中止が相次ぎ、地方からの米の出回りが減じ、8月7日には白米小売相場は1升50銭に暴騰した。
この背景には資本主義の急速な発展が指摘されている。第一次世界大戦の影響による好景気(大戦景気)は都市部の人口増加、工業労働者の増加をもたらしたほか、養蚕などによる収入の増加があった農家は、これまでのムギやヒエといった食生活から米を食べる生活に変化していった。このように、農業界からの人材流出と米の消費量の増加が続いた事に加え、大戦の影響によって米の輸入量が減少した事も重なり、米価暴騰の原因となった。
(以上、ウィキペディアより引用)
米騒動って今後も起こる可能性ありますよね!
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